補正下着ラウラクス|ハワイの伝統的で神聖な踊りやフラダンスについて



(カメハメハ3世)治世下にはハワイ語がアルファベットに変わり、口頭による伝承は後に記述や印刷技術へと発展していきました。
このときに、首都はマウイ島・ラハイナから現在のオアフ島・ホノルルに遷都しました。
そして、1848年「グレート・マヘレ法」が施行され、ハワイの土地を白人たちが入手する契機となります。

1893年、リリウオカラニ女王がアメリカ人勢力に圧されて王位から退き、ハワイ王国は終わりを迎えます。
やがてアメリカ準州となったハワイで、ハワイ人たちは行き場を失い、人々はハワイ語を捨て、ハワイ人とわかる姓さえ隠そうとするようになってしまったそうです。
当時、フラは一般的には見向きもされず、一部のハワイ人たちの間で守られていました。

【フラの復活・フラの展望】 

1883年、そんな悲しい状況を救ったのが、ハワイ王国第7代目の君主、デイヴィッド・カラカウア王でした。
芸術を愛し、「陽気な王様」(メリー・モナーク)とのニックネームで国民から愛されたデイヴィッド・カラカウア王は、 即位式の時にハワイ伝統の儀式を行い、この時にフラダンスのカヒコ(古典フラ)も公式の場で披露したそうです。

こうして、デイヴィッド・カラカウア王は、宣教師たちによって「俗悪な大衆文化」として虐げられていたハワイ固有の文化(フラ・サーフィンなど)の復興を確実に成し遂げていきました。
宮殿にお抱えのフラ・ダンサーを住まわせ、客を招いてはフラのパフォーマンスを楽しみ、フラを全面的にサポートし、復活の道へと歩みだしていきました。
この頃、西洋のクラシック音楽やピアノが輸入され、王族達に広がってゆき、楽曲が誕生し、ハワイに新しい音楽「ハワイアン・ミュージック」が生まれ、その音楽に合わせて踊る「新しいフラダンス」も生まれたのです。


1960年代に入りアメリカ本土で起きた、公民権運動(アフリカ系アメリカ人の人種差別を無くし完全な平等を求めた運動)の影響から、ハワイでもハワイ人としてハワイの伝統に誇りを持つ意識が、フラダンスへ向けられ始めたそうです。
そして、ようやく1970年代、失われたハワイ人の文化と誇りを取り戻そうという『ハワイアン・ルネッサンス運動』が起き、そして、時代もフラも動き始めました。

廃れかけたハワイ語を甦らそうと、ハワイ語の幼児教育も始まり、フラ人ロを増やそうと各地で競技会が行われるようになりました。
今からわずか30〜35年前、ようやくフラがハワイ文化のひとつとして日の目を見るようになり、ハワイ人たちは、ハワイ人であることに自信を取り戻し始めたました。
当時のフラ・イベントでは、涙で頬を濡らしながら、誇らしげにチャンティング(詠唱)し、踊る人々も多かったそうです。この時期、多くのクム・フラも誕生しました。

フラダンスの古典カヒコは、激動を乗り越え、1964年から開催された 「メリー・モナーク・フェスティバル」が、1971年にコンペティション(競技会)形式に変わった際に、フラダンスは現在のような区別をされている"カヒコ"と"アウ アナ"に分けられて、踊られるようになりました。
1971年にコンペティション(競技会)形式に変わった際に、フラダンスは現在のような区別をされている"カヒコ"と"アウアナ"に分けられて、踊られるようになりました。

※「ハワイアン・ルネッサンス」…1972年に始まった運動。
ハワイの人々が"カヒコ"や"ハワイ語"の大切な文化を守り伝承するために、一般の人々もフラダンスを学べる様な形に変化し発展を遂げる道が出来ました。 

フラは、今までの口承文化に、文字文化を取り入れるようになります。
学習法も、「カヒコ(古典フラ)」と「フラ・クイ(モロカイ風のフラ)」を、ハーラウ・フラ(フラダンスの修練所・教室)で、クムフラ(フラダンスの先生)の師事のもとに学び、ウニキ(卒業)をする現在のものへ変わって行きました。
再びカヒコ(古典フラ)が復興して、アウアナ(現代フラ)が生まれ、フラダンスは伝統舞踊として位置づけられるようになりました。

フラダンスは、この様な激動を乗り越えてきたのです。
1964年から開催されていた 「メリー・モナーク・フェスティバル」が、1971年からコンペティション(競技会)形式に変わった際に、現在区別されている"カヒコ"と"アウアナ"に分けられて、踊られるようになりました。


今日では、フラは、ハワイを紹介するハリウッド映画などの影響で観光客が訪れるようになり、観光客を楽しませる目的の、エンターテイメント性が高いものへ、変化を遂げていきました。

では、ハワイのフラダンスの歴史から、フラダンスの由来を見ていきしょう。

『フラの由来』 

「カヒコ」古典フラと「アウアナ」現代フラ

「カヒコ」古典フラと「アウアナ」現代フラ

カヒコ(Kahiko)はハワイ語で「古い」「古代の」という意味を持ちます。

●フラ・カヒコとは?

カヒコは、多くの宗教的意味を持つ神話・伝説、神への賛歌を起源とし、
王朝への賛歌、大地と自然への詩などハワイの歴史と文化の、様々な要素を多く含んでいます!!

フラ・カヒコは、古典的なフラ、宗教的なフラです。
カヒコに使用される主な楽器は、パフやイプなどの打楽器がメインとなります。
パフやイプを打ち流しながら、メレ(詠唱)が唱えられ、それらに合わせて、儀式にのっとった形でダンスが演じられます。
フラ・カヒコは宗教的行為としてマラエ(祭壇)に奉納されることもあります。
自然や神に対する礼拝を込めて詩を唱えながら踊るという、かなり宗教的で神聖な踊りです。

パフやイプが織り成す、音の緩急によって、踊りが繰り広げられ、厳粛で勇敢な印象を与えます。
数十人の踊り手がメレ(詠唱)に合わせて踊る様子は正に圧巻です。
基本的に『カヒコ』は神や王に捧げる意味が持っていたので、昔は修行や訓練を行った選ばれた男性しか踊ることを許されていなかったそうです。
もちろん、今では女性も踊ります。しかし、化粧やアクセサリーに制約があり、衣装もアウアナに比べるとシンプルです。

※※「カヒコ」「アウアナ」という呼び方になったのは、
1964年津波の被害にあったハワイ島の・ヒロの街をよみがえらせるために開催されたフェスティバル"メリー・モナーク・フェスティバル"以後の事です。
「アウアナ」が初めて、人々の前で披露されたのは、1886年イオラニ宮殿で、デイヴィッド・カラカウア王の50歳の誕生日を祝うパーティーの席でした。
"メリー・モナーク・フェスティバル"は毎年4月イースター・サンデーから1週間開催され、各種コンテストが開催されるようになったそうです。後半3日間に行われるフラ・コンテストはハワイ最高峰と言われています。

観光目当てだけでなく、フラ本来の芸術性や技能を競う場ができてきたそうです。

"フラ・アウアナ"は、現代的な新しい形式の自由フラです。


●フラ・アウアナとは?

私たちがフラダンスと聞いて思い浮かべる、ムームーを着て、ウクレレの音と共にブルーハワイ調の音楽で踊る…といったイメージは、アウアナに近いのではないかと思います。
アウアナは、主に男女の愛の要素を含み、その詩はいわゆるハワイアンソングになっています。

【Auana】とうハワイ語は、正確には、「モダン」や「現代の」という意味はなく、「漂う/さまよう」、「正道をそれる」という意味です。
19世紀以降、欧米の音楽を取り入れて創り出された新しい形式のフラ。
機能和声システムに基づく詠唱(メレ)と、和音を出すことが出来る楽器を使用している点が古典形式との最大の差異であり、1つ目の特徴です。
ギターやウクレレなど美しい旋律のある楽器を使用して、優雅に踊られ、その衣装も色とりどりで美しく華やかです。踊り手が表情豊かに踊る点も2つ目の特徴となります。
また、ハワイに行った際にショーでよく目にするのも、アウアナです。
レパートリーは固定されておらず、新作も創られ続けています。


近年、Halau hula (ハーラウ= フラの教室)・Kumu Hula (クムフラ=フラの先生)の努力も相まって、フラ人口は急激に増加しました。
カヒコに加え、アウアナの人気により、フラ全体が確立、大衆化していきました。そして、ハワイ民族のアイデンティティとして踊り続けていくようになりました。
なお、クムフラは単にフラの形やテクニックのみならず、その心、さらにはハワイの文化を教えることに注力されているそうです。

フラダンス教室では、数年前はアウアナ・カヒコを教えている教室が多かったですが、近年はタヒチアンの台頭で、アウアナ・カヒコ・タヒチアンすべてを網羅しレッスンする教室が増えてきました。

ハワイのナショナリズム復権にしたがい、ハワイの言語・伝統文化・ハワイ独自の文化が見直されるようになった今日では、 フラは新たなブームを巻き起こしています。ハワイアンミュージックやハワイアンジュエリーなどとともに、
若い世代にもフラが広まり、健康・美容への効果やダンスの奥深さ、楽しさなどから、更に注目を集めています。
習い事としてのフラから、精神に至る本格的なものまで、数多くのレッスンが開催され、初心者への間口も広くなっています。

【豆知識】

レイ
レイ(Lei)とはハワイ語で首飾りという意味です。
今日レイは、ホテルや空港での歓迎の挨拶に贈られたり、記念日などのお祝いごとなど、歓迎の気持ちを表すものとしてのイメージを持っている人も多いことでしょう。
本来レイは、魔除けや開運を導く神聖なものとして、ハワイの文化の中で受け継がれています。
フラを踊るときに、『植物にも神が宿る』という思想から、フラダンサー達は、ダンスの際には、レイを必ず身につけているのがわかるでしょう。

レイは、フラ・カヒコ、フラ・アウアナのどちらのフラダンスでも用いられています。

フラ・カヒコのレイ
…自然から霊力(マナ)を引き出すために、自らの手でつくるものという考えがあり、身の回りでとれるハワイ原産の植物を基本として、それらをレイにし、身につけます。
魔除けの意味もあり、ティーリーフやシダの葉なといった植物を中心に作られます。レイクペエ(Lei Kupee)とよばれる手首、足首につけるレイは、同じ種類のものを身につけます。

フラ・アウアナのレイ
…カヒコと違い、花が中心で、とても華やかなのが特徴です。使用される花も、ハワイ産以外の外来種の植物を含む赤、黄色、オレンジなどのカラフルなものを用います。フラアウアナではフラカヒコのように決まりごとがなく、曲(メレ )の内容を重視して選ぶことが多いようです。